いろいろな縁があって生活クラブ生協の人たちと月一回、親の自助グループを始めた。前々からしたかったことなので、楽しんでいる。
近郊で小さい子を育てている人たちが6人集まっている。一応2時間という設定だが、涙や笑いを丸ごと含めて7人がそれぞれの気持ちと話をしていくと、あっという間に時間は過ぎる。
(私は「子ども」をなるべく「若い人」と呼びたいと思っている。これからは、「子ども」は「若い人」と書いていく。)
私は元々、若い人をサポートしたいと思ってきたが、若い人をサポートするにはまず親が助からなければならない、という道筋があって、このグループも喜んで引き受けた。親自身が自分自身を肯定的に見れれば見れるほど、若い人との生活は楽になる。若い人に自分の人生の様々な苦しみを伝染させないために、親の自助グループはとても重要なものとなるだろう。
そしてもうひとつ、親のサポートとして私がずっと取り組んできたのは、親のアライ(サポーター・味方・具体的な行動も誠実に分かち合ってくれる人)を育てることだ。私の周辺にいる子育てしている人の中には、様々な困難を抱えている人も多く、私にできることは何かと考えたとき、私と共にいてくれる大切なアライたちに、彼女たちのもとに行ってもらうことだった。
子育ては障害を持つ人の自立生活と同じで、助けがあればある程うまくいく。更にもっと言えば、助けがなければ、若い人の基本的人権、生きることさえ危うくなる状況がある。私は障害を持っているがゆえに、わが子を抱いて歩くことができないから、わが子を抱きあるいてくれる人たちを周りにおくことが自分の仕事だとすぐに決断ができた。そのためであったかのように、障害を持つ人たちの運動の中で、社会や様々な行政機関と関わってきた。だから、子育ての助けの第一は行政的な様々なシステムであることは必然だが、それを創りだすことも使いこなすことも、当事者の力量が問われる。ところが、子育ては、あまりにも歴史的に長い間「全てが親(特に母親)の責任である」と言われ続けてきたので、親自身が助けを求めるということは、全く考えられなくなっている。そこで障害を持つ親の私の登場となる。
障害を持つ親として私は、どのような助けが必要か、繰り返して言うが自分の体で実感してきた。まず、人手が必要なのである。詳しくは「子育て」のページに譲るが、最近は「親のアライを育てること」の重要性をますます感じて、具体的に親とアライの出会いの場面をいくつか創っている。
親のアライも、障害を持つ人のアライも、基本的にはどれだけの想像力を持って相手と関われるかだという点は、全く同じだ。親のサポートをしたいと思っている、つまり若い人たちにもっと関わりたいと思う多くの人たちが必要だ。
これから子どもを産んで自分の子育てをしてみたいと思っている人や、あるいは「自分の子ども」というより、若い人全般に関わってみたいと思っている人など、様々な人が豊かにつながったら、助け合う社会はそこで実現するはずだ。
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