多様性の宇宙へ
続・佐藤きみよさんの講演について。
11月1日に、佐藤きみよさんを招いて講演会を行った。
今回は私が招いた新しい顔ぶれも10人以上は来てくれたので、『共に生きよう感じよう』連続講座の中では、かなり盛り上がった。
一番良かったのは、きみよさんの話がとてもすばらしかったことだ。聞きやすく、言葉も魅力的で簡潔で、声も優しい。講演者としての才能を十二分に持っている。
でも、なぜこんなによかったのかとつらつら考えるに、思ったのは、彼女の体験が人類史上初の新しいことばかりだからだ。
彼女が人工呼吸器を使って病院から抜け出して生きることを決意したのは18年前。
20年間、病院のベットの上で、白い壁と窓からほんの少しだけ見える外の世界を見ながら、「外に出たい」と呻き続けた人の気持ちは、本人にしかわからない。
しかし私たちには想像力があるので、そして私には13歳までの数年間に、彼女と同じような体験があるので、その想像力と共感をもってして、彼女の苦悩が本当に良くわかる。
「親のサポート」
いろいろな縁があって生活クラブ生協の人たちと月一回、親の自助グループを始めた。前々からしたかったことなので、楽しんでいる。
近郊で小さい子を育てている人たちが6人集まっている。一応2時間という設定だが、涙や笑いを丸ごと含めて7人がそれぞれの気持ちと話をしていくと、あっという間に時間は過ぎる。
(私は「子ども」をなるべく「若い人」と呼びたいと思っている。これからは、「子ども」は「若い人」と書いていく。)
私は元々、若い人をサポートしたいと思ってきたが、若い人をサポートするにはまず親が助からなければならない、という道筋があって、このグループも喜んで引き受けた。親自身が自分自身を肯定的に見れれば見れるほど、若い人との生活は楽になる。若い人に自分の人生の様々な苦しみを伝染させないために、親の自助グループはとても重要なものとなるだろう。
そしてもうひとつ、親のサポートとして私がずっと取り組んできたのは、親のアライ(サポーター・味方・具体的な行動も誠実に分かち合ってくれる人)を育てることだ。私の周辺にいる子育てしている人の中には、様々な困難を抱えている人も多く、私にできることは何かと考えたとき、私と共にいてくれる大切なアライたちに、彼女たちのもとに行ってもらうことだった。
「自立生活センター」と佐藤喜美代さんの講演
対外的に私は「CILくにたち援助為(エンジョイ)センター代表」という肩書を時々使っている。肩書を使うために代表になっているわけではないが、私を代表にしておくと、CILくにたち援助為センターがよく知られるかもしれないという希望がそこにはある。
まあ、その希望と予測にまあまあ貢献できているだろう。
というわけで、代表の仕事は、自分のやりたいことをやりまくる、ということで許してもらっている。
CILは「自立生活センターCenter for Independent Living」の略で、1986年に私は日本で初めてのCIL「ヒューマンケア協会」を創った数名のメンバーのうちの一人だ。
私は娘を産んだ1996年に、地元のCILの代表に請われてなった。八王子のヒューマンケア協会のほうは、代表の中西さんの大活躍で、今はアジア各国にCILの創出を支援するまでになってきている。
現在、自立生活センターは全国に100ヵ所以上あるので、関心のある方は各地の自立生活センターのホームページをぜひ覗いてほしい。CILくにたち援助為センターは、その中でも女性陣が活躍しているユニークなセンターである。「活躍」とは言っても、規模の拡大は目指していないが。国立市全体の人口は8万を切っている小さな市なので、私たちが地道に地域に住む障害を持つ人に当事者としてサービスを提供したり、地域で自立生活することの重要性を伝えていくには、「スモール・イズ・ビューティフル」のあり方でいこうと思っている。
詳しいことは援援助為センターのページにアクセスしてほしいが、私の大好きな友人を11月1日に呼ぶので、そのことを少し書きたい。
友人の名は佐藤喜美代さん。彼女はベンチレーター(人工呼吸器)を使用して日本で初めて自立生活を始めた人だ。病院から出て、自立生活がそれなりに軌道に乗ったころ、私は「遊歩、地域に出て自立して、私何をすればいいのかな?」と相談を受けた。「介助者を使ってここで生きているだけでも十分だけど、自立生活運動は、仲間をオーガナイズすることがとても大事だから、ベンチレーターをつけて自立しようとする人を応援する会を作ってみては?」と提案。彼女はただちに実行し、今ではベンチレーター使用者ネットワークとさっぽろの自立生活センターと、どちらも代表として活動している。また、彼女は詩人でもあり、絵描きでもある。
「本づくり」について
- 2008-10-24 (金)
- 最近の活動
「本づくり」(最近の活動) 08年10月23日
最近一番力を入れているのは、2,3年来取り組んでいる3作目の本書きだ。
「癒しのセクシートリップ」「車イスからの宣戦布告」に続き、太郎次郎社から単独の刊行物としては3作目となる。自分で書いて、自分で売り歩く勤勉な著者として、太郎次郎社から大事にされているので、早く作って今までの借りを一気に返さなければならない。実はつけで自分の本を買い、売っている。そういうプレッシャーもあって編集者を私の方が励まして、週に一回泊まり込みをしてもらい口述筆記で書いている。遅くても来年の春には形にしたい。
タイトルは決まっている。「たった一つの私の体」というものだ。書きたいことは、「私たちの身体に本当に必要な医療や教育とは何か」ということで、そこから「生きる目的は自分や周りの人を大事にして、日常の中で穏やかに長生きすることなのだということを伝えたいと思っている。
「私たちの身体」とは、本の始まりは「骨形成不全症」と言われる私や娘と仲間の身体のことだが、本の終わりには私と共に生きるすべての人の身体に言及していこうと思っている。
出版されたらぜひぜひ読んでほしい。
もちろん、私のつけ払いに協力したいと思ってくれてもいいが、そんな小さなレベルではなく絶対面白い本にするので、期待してください。
「からだに優しい暮らし」
- 2008-10-24 (金)
- からだに優しい暮らし
13歳の時に、整形外科医に「自分の体は自分で面倒をみるからもう二度と手術はしません」と宣言して以来、民間療法の大家が書いた赤本を読み漁ったり、食に関する様々な情報を集めたり、そして自分の体で実践できることはできるだけしてきた。
また、チェルノブイリが起こる少し前から原発問題を含むエコロジーに関心が高まり、くにたちに引っ越した時には、20Aのアパートの電流を10Aに下げて、東京電力の人を驚かせた。東京の電力の約4分の1は、私の故郷の福島に造られた原発10数基でまかなっている。福島の人たちの健康や命や自然を犠牲にして、自分がいま東京の暮らしをしているのだということを常に考えている。福島の友人が柏崎の原発が地震で止まっていることを非常に羨んでいた。なぜかというと、柏崎の原発が止まっているために、福島の老朽化した原発が、定期点検もせずに稼働しているというのだ。放射能の危険は、広島長崎の体験のある日本でこそ周知の事実であると思う。原発過密国の日本がまず、自然エネルギーの方にどれだけシフトできるかがからだと地球に優しい暮らしの鍵だ。
最近は、ソーラーボックス(ソーラーパネルで小さな電子機器を使えるようにしたボックス)を購入し、パソコンを動かしたりしている。
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