Home > 思うこと Archive
思うこと Archive
福祉と街づくり(1)
- 2010-02-15 (月)
- 思うこと
自分のことを好きでなければ、自分を大切に出来ない。
自分を大切に出来なければ、自分の街を大切にしようなどとは思わない。
どうしたら、自分を好きになれるかというと、たくさんの人に愛されて育つ子ども時代があれば最高だ。
しかし、たくさんの人でなくても、ただ1人の人にでも自分が受け入れられてきたという感覚をもてれば少なくとも生きてはいける。
逆に言えば、全くそういった感覚がなくても、今生きているという時点で、その人は愛され、必要とされた過去が少しはあったということがいえる。
あなたは大切な人だよと伝え、命を保障することを福祉だとするなら、その中には、街づくりも完全に含まれる。
なぜなら、たとえお金がたくさんあっても、自分の街に簡単に出て行けない街なら、それは差別隔離となる。
タイのバンコクに行ったとき、視覚障害者の人が大きな道路が出来たために、交通事故でほとんど死んでしまったという、ブラックユーモアと思いたい現実の怖い話を聞いた。
今、国立市には駅前周辺の街づくりの話が持ち上がっている。
私も国立に住んで、25年になるが、国立市を選んだ理由は、国立駅の片側にスロープがあったことと、大学通りの美しい町並みに心引かれたことだった。
自分の住む場所でも、車イスを使っている私が外にしょっちゅう出て歩きたくなる街であるかどうかは、非常に大きなポイントだ。
例えばバンコクの様に出て歩くのが危険な街になってしまうのなら、たとえ地域に住んでいても、危険すぎて家に閉じこもることになる。
生きていくために必要なのは、お金だけではない。そのことはみんな知っていると思うが、人と繋がることが容易な優しい街も心の原風景として私たちには絶対に必要なものなのだ。
- Comments: 0
- Trackbacks: 0
教育について
- 2010-02-15 (月)
- 思うこと
私は教育という言葉が好きではない。教育の「教」が共に育つ「共」ならば、あるいは、協力の「協」なら本来の人間にふさわしい言葉だと思うが、子供たちに教えたいほどのものを大人たちはどれほど真摯に持っていると言えるのだろうか。ちなみに英語のeducationは、‘引き出す’という意味で上からものを教えるという意味ではないそうだ。
20年くらい前、私のかわいい甥っ子たちが次々に登校拒否をしたとき、私の妹は最初とてもパニクッていたが、半年も経たないうちに子供たちとたくさん遊んだり学んだりできるので、これもなかなかいいかもしれないと言っていた。私も、自分の車いすを押してくれる優しい甥っ子たちだし、あちこち一緒に行けたので、学校に行かなくなったことをあの時は喜んだものだった。
妹はその後、不登校の子の親たちと一緒にフリースペースを作り、私はそこに集まってきた子供たちの中の少年一人と甥っ子一人を連れて、ニュージーランドとオーストラリアのフリースクールや、地域の学校を3カ月かけて回るという旅をした。この旅のことも書き出せばたくさん書けるが、今日は私が欲しい子供たちの学びの場について書きたい。
私の望む学校は木造で、せいぜい2,30人くらいの違年齢の子供たちが自分の好きな勉強を大人のアシスタントを得て好きなように進めることができる場でありたい。そして、今ある学校の校庭や建物の代わりにそこにたくさんの木を生やせば、地球環境の悪化を防ぐだろうし、子供たちの学びの場として森は最適だ。
その小さな学校の最も重要な理念は多様性と平和で、障害のあるなしや肌の色の違い、言葉の違いを超えて、一緒に仲良く生きるにはどうしたらいいかを個別の学び以上に互いに探っていく。
もともと子供たちは、本来は平和主義者だ。主義者と言うより、人間は妊娠から自力歩行をし、コミュニケーションを取り、いわゆる独り立ち出来るまで4,5年もかかる生物だ。そんなに長い年数を人の手を信頼し続けて、成長する生物は他にない。だから、人間は本来的に平和、信頼、愛という素晴らしい側面を持ち続けている生物なのだ。
にも関わらず、人間ほどわけのわからない残酷な生物もいない。同族で殺しあうことは、他の生物にはほとんどまったくと言っていいほどないのに、人間だけが歴史上繰り返し争い続け、互いに殺しあってきた。この歴史を、平和と愛に転換するためにはどうしたらいいのか。そこにこそ、私の考える学びの場の必要性がある。 本来人間は、先ほども言ったように、平和でなければ生きられないことを知っている動物なのに、繰り返しの争いで、恐怖が全ての人の心に沁みついてしまっている。例えば争いの始まりである罵声や怒声を聞くと、ほとんどの人は凍りついてしまい、何も声が出せなくなってしまう、逃げるとか少しは止めてみようとかの的確な対応が取れなくなる。
しかし、そうしたときに小さな子供だったら泣きだすことができる。泣いて泣いて、その罵声や怒声を浴びせた人を憎むことなく許し続けて成長していく。私がほしい学びの場にはこの若い人たちの声を徹底的に聞くというプロセスをぜひ持ち込みたい。
人間に備わっている自然治癒力は身体にあるだけではなく、心にもある。涙や笑いや、震えやあくび、これらは心の自然治癒力なのだ。共に育つ場でこの力をいっぱい活かし、信頼と愛と平和を永続的に実現していくことこそ正しいきょういく(教え育つではなく共に育つという意味での)であるに違いない。
- Comments: 0
- Trackbacks: 0
臓器移植について 2
- 2009-06-16 (火)
- 思うこと
先日は臓器を求める側の親に対しての気持ちを書いた。今日は医療関係者に対しての思いと考えを書く。
まず医療関係者と一口に言い切ってしまったが、一人一人医療を志した思いも背景も違うわけだし、臓器移植に対しても個々人の考え方はいろいろあるに違いない。ここで私が訴えたい人たちは、臓器移植について賛成あるいは若干の疑問を持ちながらも、賛成せざるを得ないと考えている人たちへ、なのだ。
賛成だと考えている人たちは、なぜ賛成なのかを問いたい。脳死段階で取り出せばまた生き返る臓器を、みすみす無駄にするよりは、その臓器で助かる命があるなら助けたほうがいいということなのだろうか。
こういう考え方は効率主義的で、いかにも賢そうに思える。
しかし何度も繰り返すが、本当の効率主義を考えるなら、脳死段階からの回復を考えたほうがずっと論理的だといえる。
その論理の正当性は、医療の場にいる人の方が多くの情報を持っているに違いない。だからここで詳しくは触れないが、なぜか脳死状態の人を徹底的に可哀想だと決めつけて、臓器を取り出そうとする動きは医療の場にいる人の方が更に激しい。なぜだろうか。
日本は所謂、先進国と呼ばれる国々の中でも、薬害の被害を繰り返し続けている国だ。
私の記憶だけでも、サリドマイドやキノホルム、HIVの血液製剤や、最近のリタリンやタミフル、SSRIなど、人間の命を薬害に奪われても奪われてもなぜこんなにも気付けないのだろうか。そこにあるのは医療を金儲けの道具にしようとするシステムのありようだし、それがおかしいと思いつつも、巻き込まれ続けている製薬会社の関係者や医療者達がいる。臓器移植はどう考えても、どう抗弁しても沢山のお金が動くことは間違いない。臓器移植を成功させたとしたら、お金だけでは無く、名誉も研究欲も満足するし、達成感も深くなるだろう。
しかし、だからこそそこで考え続けて欲しいのだ。人間の命は非常に繊細で、そして同時にダイナミックではあるが、一度失われれば二度と戻りはしないのだ。その命と共にあった人にとっては、臓器をあげたことでその人の一部が生きているから満足すべしと言われても、医療者ほどには満足は出来ないだろう。勿論医療者自身も、自分の家族や、自分が脳死状態になったら即臓器をあげようとは簡単には思えないだろう。臓器移植をしたとしても、延命率は60%だと聞く。その延命も、1年なのか2年なのか、10年までいっているのか、確実な統計はまだどこにもないだろう。
臓器移植を考え行動する前に、脳死状態からの回復を医療者こそが真剣に考え、研究してほしい。人間の体はロボットの様にパーツを寄せ集めて、動いているのではなく、命の全体性があって生きている体となっている。そのことを誰よりも知っているのは、人間の体に向き合い続けている医療者自身に他ならないのだから。
- Comments: 0
- Trackbacks: 0
臓器移植について
- 2009-06-04 (木)
- 思うこと
臓器移植法案をめぐって、国会審議が始まろうとしている。
改正法案の中、特にA案を支持している議員が多いと聞いて驚いた。「脳死を人の死と完全に認め、子供であっても親の同意さえあれば臓器移植を認める」というこのA案には、問題がいくつもある。
まず脳死を人の死として認めるのが適当かどうかという点だ。脳死と判定されながらその後完全に回復した人も何人もいるし、意識が回復しないままであっても、体が成長しつづけた子供の記録もある。脳死状態にある人を回復させるほうが、臓器を取り去ってしまうよりずっと利にかなっていると思うのに、なぜか臓器移植という究極の選択の方に注目もお金もエネルギーも集中しているのはどういうカラクリがあるのだろう。
かつて私の母がくも膜下出血で脳死状態になったとき、私は暖かい体の母にすがり付いて泣き続けられたので、母が死んでいるということは全く受け入れられなかったし、受け入れなかった。二十歳の時から重い障害のある人にも生きる権利があるのだと活動し続けてきた私にとって、脳死状態の母は私と共に活動しつづけてきた重い障害を持つ仲間でしかなく、もし彼女がそのままの状態でいてくれたなら人口呼吸器ごと家に連れて帰ったに違いない。しかし残念ながら母は6時間後には心停止状態となり、体は少しづつ冷たくなり、硬直していった。
脳死状態の回復をこそ徹底的に語るべきなのに、なぜ臓器移植という生命倫理を徹底的に混乱させるような議論を積み重ねているのだろうか。そこにはやはり、命を市場化する経済論理が丸見えだ。
特に子供の移植が出来ないからといって、海外にわが子を連れて出ようとする親子の姿をニュース等で繰り返し報道していることが気にかかっている。その裏には何があるのだろうか。
脳死判定された子供から使える心臓や肝臓を取り出すわけだが、もしその脳死判定が誤りであったり、もしかしたら時間をおけば回復するということが分かっていたら、それでも自分の子供にその子からの心臓が欲しいと親は望むのだろうか。
臓器移植を求めて海外にわが子を連れて行く親の想像力は、経済市場主義の社会によって完全にブレーキをかけられている。この社会はお金がないと生きられないという思いで満ち満ちていて、貧しい子供の親は「この子はどうせ生きられないのだから」と、わが子の健康な臓器をお金のある人に売るだろうことも数多くあるのだ。あるいはお金に目がくらんだ人が、まずしい子供を誘拐し臓器を取ってしまうことも、「闇の子供たち」という映画や小説で知られてきている。
昔は子供を身代金と引き換えに売り、子供は労働力を提供することで命だけは生き延びることが出来た。しかし、現代の人身売買の恐ろしい点は、命まで容易にとられてしまうという点だ。
どうか重い心臓病や肝臓病を持った子の親たちに言いたい。自分の涙で泳げるくらいに泣いてもいいから、脳死の子や貧しい子の命を奪っていいとするこの法案を皆さんこそが反対して欲しいと。子供たちは自分の身体も過酷な運命も親の本物の愛情さえあれば必ずや乗り越えていける。結論が死であってさえも。誰かから奪い取った健康な心臓と共にいくばくか生きながらえたとしても、それがその子が本当に望んだ人生とは、私には全く思えない。
私は自分もわが子も、他の人が全く望まないだろう障害を持った体で産まれてきた。親は私が骨折するたび、「自分が代わってあげられたら」とぽろぽろ泣いていた。私もまた娘が骨折する度に、「自分だったら良かったのに」と涙する。
しかしだからこそ、命が脅かされたら、自分がどんな風に感じるかも想像力の範囲内で考え、思うことが出来る。
結論は、私も親も、自分の命に代えても助けたいとは思うけれど、他の子の命は決して脅かしたくない、ということだ。
なぜならその臓器提供する子の親も、脳死状態から、貧しさから徹底的に回復したいと思っている親に違いないのだから。
次回は臓器提供をめぐる親たちへだけではなく、このことをめぐっての医療関係者に向けての思いを書いていきたい。
- Comments: 0
- Trackbacks: 0
Home > 思うこと Archive
- Search
- Feeds