Home > 自立生活運動 Archive

自立生活運動 Archive

精神に障害を持つとされる人々と共に

私は1956年2月生まれの52歳。

この年に、日本の経済白書に「戦後は終わった」と書かれたという。
戦後、大地主制度が瓦解し、敗戦の壮絶な貧しさの中から出て、日本社会は競争が苛烈な自由経済市場となった。

その成果が、56年の経済白書に表れて、高度経済成長に突き進む記念の年だったのだろう。

その後、東京オリンピックがあり、ベトナム戦争があり、私の近所の風景も少しずつ変わっていった。

昭和40年代初めの「always 三丁目の夕日」のような風景の中に、私もいて、その頃には「精神障害」と呼ばれる人たちは地域の中でまだ「不審者」とも「おかしな人」とも呼ばれず、もちろん肩身は狭かっただろうけれども、共に過ごしていた。

特に私の左隣の家の人たちは、今から考えると「統合失調症」と呼ばれる人が、6人家族の中に3人もいて、しょっちゅう壮絶な罵声や物や人のぶつかり合う音が聞こえていた。そのうちの一人は私と妹と仲良しの女の子でもあったから、長い間「精神病」というレッテルで彼女たちが地域から孤立していることにも気付いていなかった。

もう一人近所には、石を子ども達に投げる年配の女性がいて、今考えると、息子が戦争で戦死していたかもしれないし、とにかく大きな悲しみが彼女の人生にあったに違いない。しかしその彼女が石を投げるときに、それを大人たちが必死で止めるというよりは、子ども達が彼女に投げられる石を遊びの一つとして捉えていたことを思い出す。

また、今で言えばホームレスの人たちが、おおげさでなく月に二三回は”乞食”として家々に回ってきて、私の母はいつも彼らに丁寧に応対していた。深々とお辞儀をして、ちり紙に巻いた5円や10円を一合の米を添えて渡すので、私は”乞食”と言われる人たちが社会的に卑しめられている立場にいると気づくまでずいぶん間があった気がする。

そうした幼いときの風景の中には、精神障害を持つ人たちがあまりに当たり前にいたので、障害者運動の中で、精神障害者との連帯というのは80年代の終わりまでなかなかピンとこなかった。

しかし昨今の精神障害を持つ人たちに対する差別や抑圧の激しさを見る時に、彼らとの共生の方向を探り出すことが緊急課題であるとの認識は心深くに持っていた。

その認識を持って11月12日、エンジョイセンターで初めての精神障害を持ちながらそこからの回復に取り組んでいる人を招いて講演会を開いた。

(続きは後日に。。。)

続・佐藤きみよさんの講演について。

11月1日に、佐藤きみよさんを招いて講演会を行った。

今回は私が招いた新しい顔ぶれも10人以上は来てくれたので、『共に生きよう感じよう』連続講座の中では、かなり盛り上がった。

一番良かったのは、きみよさんの話がとてもすばらしかったことだ。聞きやすく、言葉も魅力的で簡潔で、声も優しい。講演者としての才能を十二分に持っている。

でも、なぜこんなによかったのかとつらつら考えるに、思ったのは、彼女の体験が人類史上初の新しいことばかりだからだ。

彼女が人工呼吸器を使って病院から抜け出して生きることを決意したのは18年前。

20年間、病院のベットの上で、白い壁と窓からほんの少しだけ見える外の世界を見ながら、「外に出たい」と呻き続けた人の気持ちは、本人にしかわからない。

しかし私たちには想像力があるので、そして私には13歳までの数年間に、彼女と同じような体験があるので、その想像力と共感をもってして、彼女の苦悩が本当に良くわかる。

Continue reading

「自立生活センター」と佐藤喜美代さんの講演

対外的に私は「CILくにたち援助為(エンジョイ)センター代表」という肩書を時々使っている。肩書を使うために代表になっているわけではないが、私を代表にしておくと、CILくにたち援助為センターがよく知られるかもしれないという希望がそこにはある。
まあ、その希望と予測にまあまあ貢献できているだろう。
というわけで、代表の仕事は、自分のやりたいことをやりまくる、ということで許してもらっている。
CILは「自立生活センターCenter for Independent Living」の略で、1986年に私は日本で初めてのCIL「ヒューマンケア協会」を創った数名のメンバーのうちの一人だ。
私は娘を産んだ1996年に、地元のCILの代表に請われてなった。八王子のヒューマンケア協会のほうは、代表の中西さんの大活躍で、今はアジア各国にCILの創出を支援するまでになってきている。
現在、自立生活センターは全国に100ヵ所以上あるので、関心のある方は各地の自立生活センターのホームページをぜひ覗いてほしい。CILくにたち援助為センターは、その中でも女性陣が活躍しているユニークなセンターである。「活躍」とは言っても、規模の拡大は目指していないが。国立市全体の人口は8万を切っている小さな市なので、私たちが地道に地域に住む障害を持つ人に当事者としてサービスを提供したり、地域で自立生活することの重要性を伝えていくには、「スモール・イズ・ビューティフル」のあり方でいこうと思っている。

詳しいことは援援助為センターのページにアクセスしてほしいが、私の大好きな友人を11月1日に呼ぶので、そのことを少し書きたい。

友人の名は佐藤喜美代さん。彼女はベンチレーター(人工呼吸器)を使用して日本で初めて自立生活を始めた人だ。病院から出て、自立生活がそれなりに軌道に乗ったころ、私は「遊歩、地域に出て自立して、私何をすればいいのかな?」と相談を受けた。「介助者を使ってここで生きているだけでも十分だけど、自立生活運動は、仲間をオーガナイズすることがとても大事だから、ベンチレーターをつけて自立しようとする人を応援する会を作ってみては?」と提案。彼女はただちに実行し、今ではベンチレーター使用者ネットワークとさっぽろの自立生活センターと、どちらも代表として活動している。また、彼女は詩人でもあり、絵描きでもある。

Continue reading

Home > 自立生活運動 Archive

Search
Feeds

Return to page top