11月1日に、佐藤きみよさんを招いて講演会を行った。
今回は私が招いた新しい顔ぶれも10人以上は来てくれたので、『共に生きよう感じよう』連続講座の中では、かなり盛り上がった。
一番良かったのは、きみよさんの話がとてもすばらしかったことだ。聞きやすく、言葉も魅力的で簡潔で、声も優しい。講演者としての才能を十二分に持っている。
でも、なぜこんなによかったのかとつらつら考えるに、思ったのは、彼女の体験が人類史上初の新しいことばかりだからだ。
彼女が人工呼吸器を使って病院から抜け出して生きることを決意したのは18年前。
20年間、病院のベットの上で、白い壁と窓からほんの少しだけ見える外の世界を見ながら、「外に出たい」と呻き続けた人の気持ちは、本人にしかわからない。
しかし私たちには想像力があるので、そして私には13歳までの数年間に、彼女と同じような体験があるので、その想像力と共感をもってして、彼女の苦悩が本当に良くわかる。
その彼女が、病院の外で生きることを決断し、まったく応援のない中、周りの人を一人一人説得し続けて、自立生活を勝ち得ていく様子は、彼女の描く詩画集の世界のように希望と優しさにあふれながらも、過酷な現実に涙し続ける大変な日々だった。
彼女は、朝起きたときに介助者と自分の食べたいメニュー、ふかふかのパンを焼いて、熱い紅茶をいれて、病院の食事にはないその暖かさを感じるときに、「自分は人間として生きているのだ」としみじみ嬉しかったと、まるで一幅の絵を描くように語ってくれた。
ただ、介助料の制度がまるでなかったので、ボランティア探しに追われ続け、ここ10年間は毎年毎年、1,2時間じりじりと介助量のアップを迫り、市 長交渉まで行い、24時間介護をつい2,3年前に実現したという。人工呼吸器をつけて生きる人たちにとって24時間介助の保障は地域生活を実現するときの 必須条件だ。今は市役所の役人たち「頭の痛い難題を持ち込む人として見られ、ブラックリストにマークされている」とにこやかに語っていた。
私も22歳で家を出た時は、人工呼吸器をつけていなかったけれど、全く介助者がいなかったので、お風呂のないアパートで自立していたために実に苦労したことを思い出した。
ボランティアの人に「お風呂に付き合う時間はない」といわれると、わたしは車イスで道路に出て、通りかかる人を待って「銭湯まで押していってもらえ ないか?」と掛け合った。「銭湯までは押せないけど、そこの角まではいいよ」ということで、たった7,8分の銭湯に行くのに3人ぐらいの手を借りたことも ある。銭湯の中で、すべらないように手を貸してもらったり、石鹸まで借りたり(これはしょっちゅう忘れたため)、お風呂の中でいろんな人と知り合ったもの だ。
障害を持つ人たちは、助け合う社会を作るための先駆者だ。
この日本の競争主義、経済至上主義の中でぼろぼろになる働き方をしている人たちに、「いのちを支えるために人間は生きてるんだよ。奪い合うより、分 かち合うために時間もお金もあるはずだ」ということを言っているだけではなく、生活全体が助け合い出ないと成り立たないのだから、我ながらすばらしい人た ちだと思う。
社会もそれを認めて、少しずつ介助料制度や街づくりを変えてきた。
しかしそのために私たちは黙っていたわけではない。ということを、私とは又違った言葉で優しく伝えまくってくれていたから、実に面白かったのだ。
そしてもうひとつ、きみよさんのすばらしいのは、フィリピンから子どもを引き取って育てているという点だ。きっかけは私の一本の電話だったという。(私は忘れていた。)
人工呼吸器をつけた障害の重い人に、一本の電話で子育てを薦める人がいる人に彼女は驚いたそうだが、それに乗って子育てを始めた自分自身にさらに驚 き、最初の2年間で3通の手紙を私に書いた。その手紙には「あまりに子育てが大変で私には子育ては無理かもしれない」という苦悩と諦め感が綴られていたと いう。結局その手紙は出さなかった。彼女のパートナーから「あなたの中にある子育てのマニュアルを止めて、あなたらしい子育てをしないと結局重度障害者に は子育ては無理、という見方がされちゃうよ」と言われたことがきっかけとなって、その気持ちは少しずつ払拭されていったというが、その辺を聞きながら私は 自分のあまりの無謀さに心の中で申し訳ないと思っていた。しかし「申し訳ない」という言葉は彼女にも一言も言わなかったし、私の娘と彼女の娘の二人の前で はとても言いたくない言葉でもある。
今これを書きながら涙が止まらなくなるが、子育ては実に実に大変だ。私の娘は私と同じ障害を持っているし、彼女の娘はフィリピンからの養子である。 この優生思想にあふれ画一的な価値観が蔓延する日本の中で、私たちの娘のようにユニークですばらしい個性を持った子を育てるのは、並のチャレンジではな い。私はきみよさんに多分この苦悩を分かち合う仲間になってほしかったのだと、それは講演の前に少し伝えた。
彼女には「えー。つまり巻き込みたかったわけ?」と言われたけれど、彼女の娘もりかちゃんが7歳になった今では、「だってそうだよ。こんな優生思想の中では仲間が必要だったんだよ」と伝えた。講演を聴きながら「仲間でいてくれてありがとう」と何度も何度も心に思った。
一言付け加えれば、彼女のパートナー安岡菊之進さんも、私のパートナー丈さんも、男性として障害を持つ女性をパートナーにし、並々ならないチャレン ジをし続けてくれている。一言この場を借りて、なかなか口に出来ない感謝を心から伝えたい。私も彼女も、娘には「生まれてきてくれてありがとう。大好き よ。」とは、彼女たちに「うるさい」と言われるほど簡単に言えているのだが、パートナーにはなかなかに言えていないかもしれないので。
昨日は、「共に生きるを感じよう」連続講座の中の第二回目だったが、私の中では今までの自分たちが主催した講演会の中で、最も心に残る嬉しい講演会だった。
きみよさん、もりかちゃん、菊之進さん、北海道からわざわざほんとうにありがとう。
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