多様性の宇宙へ
我が家の畑
- 2010-07-21 (水)
- 未分類
私はかつて、恋人との2人だけでの同居を30代半ばで解消して以来、なるべくルームメイト(同居する友人)をおいてきた。多い時には4人いたこともある。
今は、男性女性共に一人ずつ(カップルではない)の2人と暮らしている。
私のパートナーと娘と計5人で暮らしているというわけだ。
去年から、私のパートナーとルームメイトの男性が畑を始めた。
国立市内のNPOの畑を借りてのことで、私もたまに行っている。
日本は自給率は40パーセント、輸入した食物の廃棄量はそれ以上という、食べ物に対して傍若無人な振る舞いをしている、とんでもない国だ。
世界で十分に食べられずにいる人たちの人口は、約30億から40億。その中で飢餓という状況にある人は10億人にも上るという。
いつも肉や魚のない、うちの食卓は玄米と折々の野菜と、大豆、そして雑穀に色採られている。
私にとってこの食卓は、世界の十分に食べれない人々と連帯したいとの願いを込めている豊かな食卓だ。
最近、畑のブログをルームメイトが始めてくれた。
リンクを貼るので、覗きたい人は是非どうぞ。
http://hatake-diary.blogspot.com/
現在、家の食卓の野菜だけは、約30パーセントくらいを自給している。
「ナヌムの家」を訪れて
- 2010-07-21 (水)
- 未分類
3月の末にピア・カウンセリングの話をして欲しいと、韓国のグループに呼ばれ話をしにいった。
韓国の障害者運動の勢いの良さは、日本の私達以上だ。たった10年間で自立生活センターが200箇所できたというのだから驚いた。
「なんでそんなに作れたんだろう?」と聞いてみたら、「韓国人は人の下で働くのが嫌いで、みんな独立したがるんだ。」と笑って答えてくれた。自分でリーダーシップを取ることの大切さとすごさを彼らといて、しみじみと思い出した。
ところでその旅の間に、昔から行きたいと思っていた『ナヌムの家』に半日行くことができた。
日本軍は、先の大戦の時代に、朝鮮、中国、インドネシア等やそして日本の女性達を従軍慰安婦という呼称で連れまわし、あるいは慰安所に閉じ込めて、性暴力を繰り返した。その歴史をとどめるための資料館と、そういう扱いを受けた8人の女性達が暮らす家が、『ナヌムの家』である。
私は10代の半ばに、新聞記事か何かでこの情報を知り、10代から20代の女性が信じがたいほどの、性暴力を受けていたという事実に言葉を失い、中国で日本軍の一兵卒であった父にも、そのことは一度も聞けずじまいだった。
だから、約10年前、『ナヌムの家』の映画が出来たとき、初めてその被害当事者の証言を聞き、一度は訪ねたいと念願した。今回その願いがかない、介助をしてくれている在日の友人と行けたことは、いろんな意味で非常に良かったしうれしかった。
『ナヌムの家』に着いてすぐに、オクソンさんと目が合い、手招きをされたので、オクソンさんの座っているソファの隣に行った。すると彼女が、手をなでてくれたので、涙が出てきて、私も彼女の体に腕を回し、数分2人で抱き合いながら泣いた。
その後彼女がいろんな話をしてくれたのだが、残念ながら韓国語が分からなかったので、一言も言葉としては分からなかった。しかし、ひどい扱いを受けた当時のことを話してくれているということだけは、彼女の辛いジェスチャーの様子から伝わってきた。
この家と資料館には若い日本人が2人、スタッフとしていて働いていた。2人が自分のしたいこととしてそこで働き、本当の歴史を伝え続けようとしている姿には感動した。
そしてもちろん、8人のハルモニ達が決して諦めることなく、日本大使館に毎週水曜日には出向いて、謝罪を日本政府に要求し続けているという粘り強さと、行動力、それらは、人間に対する高い期待と愛情にも根ざしていると感じて、心打たれた。
というわけで、これから韓国に行く若い人や、そして出来ればあの時代を生きたすべての人にも、『ナヌムの家』に行ってきて欲しいと願っている。
友人のOIの女性に子どもが生まれた
- 2010-04-20 (火)
- 障害
「FGM(女性性器切除)廃絶を支援する女たちの会」会報での書評。
- 2010-04-20 (火)
- 最近の活動
「FGM(女性性器切除)廃絶を支援する女たちの会」のニュースレターに私の本の書評が載った。
私は「女性性器切除」という伝統と呼ばれる、子どもと女性に対する最悪の虐待を終わらせたいと強く強く願い、できることを行動している。
そのできることのひとつとして、本を書いたら、その書評を書いてくださった。ぜひ本を読んでできることをひとりひとりが考えてくれたら嬉しい。
全く意味のない手術で苦しんできたという一点で、私は性器切除をされた女性たちと深く深くつながっていると思っている。
全く意味のない痛いだけの残酷な手術を、幼い子どもたちに治療や伝統という詭弁でする社会。
私はかわいそうな治してあげなければならない生まれつきの障害を持っているという理由で、性器切除されている女性達はその『伝統』のある地域に女性として生まれたということで。
どんな命も産まれてきたというその一点で、周りからのとんでもない虐待にさらされるべきでは絶対にない。
以下、許可を得たので、書評を転載させていただく。
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書評:『いのちに贈る超自立論~すべてのからだは百点満点』
〔安積遊歩(著)、太郎次郎社エディタス、2010年1月〕
著者の安積遊歩さんは生後約40日で「骨形成不全症」と診断され、骨がもろいため骨折を繰り返し、そのたびに手術で骨を補強する針金を足に入れ骨が固まるとまた手術をして針金を取り出すということを繰り返し、やがて13歳のときに、ひどい痛みに苦しむだけで何の効果ももたらさない手術を拒否。それ以来彼女は「障害」を「治す」ということについて考えてきた。そしてたどり着いた結論は、「私にとって『治す』とは、自分のからだといのちを心地よく維持するための働きかけであって、決して健常者のからだに近づくことが『治る』のではない」ということ。
そこから生まれる彼女の発想はびっくりするほどユニークだ。「骨が『不全』だという認識から手術して完全な状態に正そうという発想が生まれる。二本の足で歩くことが唯一の正しい姿、というわけだ。しかし『骨形成不全症』は大きな特徴として、歩けば骨折の恐れがあるのだ。だったら、歩かなければいい。・・・・『骨形成不全症の人は歩かなくていい』という常識をつくりたいものだ」。そうすれば車いすの開発も進むし、車いすもめがねと同じ感覚で使ってほしいと彼女は言う。
1980年代にアメリカのバークレー自立生活センターで研修を受け、仲間同士の相談活動である「ピア・カウンセリング」を日本に紹介、障害者の自立運動に取り組み、1994年にカイロで開催された国連の「人口と開発世界会議」では優生保護法の差別性を世界に向かって告発、40歳で女の子を出産と、行動的に生きてきた彼女が、この本のなかでは、治療、生殖技術、貧困、親と子、プライバシー、エコロジー、そしてFGMと、さまざまなテーマについて語っている。そこではやはり何度も受けさせられた手術のすさまじい痛みの体験がつづられる。手術とは、「私たちのような骨折治療や骨延長の手術をされる側からすれば、優生思想にもとづいた正義の名を借りた虐待だ、とすらいえる」し、「痛みから来る精神のアンバランスは、戦時下を生き抜いたことによるトラウマにも酷似する」。だからこそ彼女は、FGMを受けた少女たちの痛みをわがことのように感じる。自分自身の幼いころの苦しみの記憶があるから、傷つけられた少女たちの感性が崩れていくのが目に見えるようだと言い、あまりの恐怖と混乱と痛みで少女たちのその後の人生がどれほど生きがたいものになるだろうと嘆じる。安積さんはこのFGMの現実をひとりでも多くの人に知ってもらおうと、兼任講師をしている大学で最初の授業のときに『戦士の刻印』を学生たちに見せている。
200ページ足らずの本なのに、今の社会にある偏見に対する鋭い指摘と豊かな発想に、何度もはっとして立ち止まり考え込まされ、自分の生き方についても見直しを迫られる貴重なメッセージが満載されている。そして全体を通じて流れているのは、「そのままのあなたでいい」という暖かいまなざしであり、読んでいる者をほっと安心させる、それがこの本の魅力だと思う。
(引用元:「WAAFのニュースレター Vol.55 2010年3月31日発行」)
メールについてのお詫び(管理者)
- 2010-03-02 (火)
- 未分類
当サイトからメールをいただいた皆様にお詫びです。
info@asakayuho.com宛てにお出しいただいていたメールは、メールサーバーの不具合のため、一切これまで受信できていなかったことがわかりました。
メールいただいていた皆様、申し訳ありません。
今後は、asakayuho@gmail.comまでご連絡頂ければ幸いです。
大変失礼いたしました。(管理人)
福祉と街づくり(1)
- 2010-02-15 (月)
- 思うこと
自分のことを好きでなければ、自分を大切に出来ない。
自分を大切に出来なければ、自分の街を大切にしようなどとは思わない。
どうしたら、自分を好きになれるかというと、たくさんの人に愛されて育つ子ども時代があれば最高だ。
しかし、たくさんの人でなくても、ただ1人の人にでも自分が受け入れられてきたという感覚をもてれば少なくとも生きてはいける。
逆に言えば、全くそういった感覚がなくても、今生きているという時点で、その人は愛され、必要とされた過去が少しはあったということがいえる。
あなたは大切な人だよと伝え、命を保障することを福祉だとするなら、その中には、街づくりも完全に含まれる。
なぜなら、たとえお金がたくさんあっても、自分の街に簡単に出て行けない街なら、それは差別隔離となる。
タイのバンコクに行ったとき、視覚障害者の人が大きな道路が出来たために、交通事故でほとんど死んでしまったという、ブラックユーモアと思いたい現実の怖い話を聞いた。
今、国立市には駅前周辺の街づくりの話が持ち上がっている。
私も国立に住んで、25年になるが、国立市を選んだ理由は、国立駅の片側にスロープがあったことと、大学通りの美しい町並みに心引かれたことだった。
自分の住む場所でも、車イスを使っている私が外にしょっちゅう出て歩きたくなる街であるかどうかは、非常に大きなポイントだ。
例えばバンコクの様に出て歩くのが危険な街になってしまうのなら、たとえ地域に住んでいても、危険すぎて家に閉じこもることになる。
生きていくために必要なのは、お金だけではない。そのことはみんな知っていると思うが、人と繋がることが容易な優しい街も心の原風景として私たちには絶対に必要なものなのだ。
教育について
- 2010-02-15 (月)
- 思うこと
私は教育という言葉が好きではない。教育の「教」が共に育つ「共」ならば、あるいは、協力の「協」なら本来の人間にふさわしい言葉だと思うが、子供たちに教えたいほどのものを大人たちはどれほど真摯に持っていると言えるのだろうか。ちなみに英語のeducationは、‘引き出す’という意味で上からものを教えるという意味ではないそうだ。
20年くらい前、私のかわいい甥っ子たちが次々に登校拒否をしたとき、私の妹は最初とてもパニクッていたが、半年も経たないうちに子供たちとたくさん遊んだり学んだりできるので、これもなかなかいいかもしれないと言っていた。私も、自分の車いすを押してくれる優しい甥っ子たちだし、あちこち一緒に行けたので、学校に行かなくなったことをあの時は喜んだものだった。
妹はその後、不登校の子の親たちと一緒にフリースペースを作り、私はそこに集まってきた子供たちの中の少年一人と甥っ子一人を連れて、ニュージーランドとオーストラリアのフリースクールや、地域の学校を3カ月かけて回るという旅をした。この旅のことも書き出せばたくさん書けるが、今日は私が欲しい子供たちの学びの場について書きたい。
私の望む学校は木造で、せいぜい2,30人くらいの違年齢の子供たちが自分の好きな勉強を大人のアシスタントを得て好きなように進めることができる場でありたい。そして、今ある学校の校庭や建物の代わりにそこにたくさんの木を生やせば、地球環境の悪化を防ぐだろうし、子供たちの学びの場として森は最適だ。
その小さな学校の最も重要な理念は多様性と平和で、障害のあるなしや肌の色の違い、言葉の違いを超えて、一緒に仲良く生きるにはどうしたらいいかを個別の学び以上に互いに探っていく。
もともと子供たちは、本来は平和主義者だ。主義者と言うより、人間は妊娠から自力歩行をし、コミュニケーションを取り、いわゆる独り立ち出来るまで4,5年もかかる生物だ。そんなに長い年数を人の手を信頼し続けて、成長する生物は他にない。だから、人間は本来的に平和、信頼、愛という素晴らしい側面を持ち続けている生物なのだ。
にも関わらず、人間ほどわけのわからない残酷な生物もいない。同族で殺しあうことは、他の生物にはほとんどまったくと言っていいほどないのに、人間だけが歴史上繰り返し争い続け、互いに殺しあってきた。この歴史を、平和と愛に転換するためにはどうしたらいいのか。そこにこそ、私の考える学びの場の必要性がある。 本来人間は、先ほども言ったように、平和でなければ生きられないことを知っている動物なのに、繰り返しの争いで、恐怖が全ての人の心に沁みついてしまっている。例えば争いの始まりである罵声や怒声を聞くと、ほとんどの人は凍りついてしまい、何も声が出せなくなってしまう、逃げるとか少しは止めてみようとかの的確な対応が取れなくなる。
しかし、そうしたときに小さな子供だったら泣きだすことができる。泣いて泣いて、その罵声や怒声を浴びせた人を憎むことなく許し続けて成長していく。私がほしい学びの場にはこの若い人たちの声を徹底的に聞くというプロセスをぜひ持ち込みたい。
人間に備わっている自然治癒力は身体にあるだけではなく、心にもある。涙や笑いや、震えやあくび、これらは心の自然治癒力なのだ。共に育つ場でこの力をいっぱい活かし、信頼と愛と平和を永続的に実現していくことこそ正しいきょういく(教え育つではなく共に育つという意味での)であるに違いない。
新刊「いのちに贈る超自立論」発刊。
- 2009-12-22 (火)
- 最近の活動
ついに私の新しい本が出た。
「いのちに贈る超自立論」というタイトルだ。
太郎次郎社から発刊された。

書き始めてから早四年となるので、直前には少し「もう止めようか」というあきらめの境地にもなったが、編集者と出版社に励まされて完成。
はっきり言ってそれまでは、編集の人を励まし続けて書き進めた日々だった。
彼女とは、私が太郎次郎社から一冊目の本(「癒しのセクシートリップ」)を出したときからの付き合いで、編集者と著者という関係を遥かに超えて、友人同士となっているので、なかなかそこのところが大変でもあった。
しかし、出来上がってみれば、そうした日々はかえって二人へのプレゼントとなった。
今までのどの本よりも、自分の中では言いたいこと、伝えたいことをきちんと書いたと思えている。
どんなに私達障害を持つ女性の現状が厳しくあろうと、障害を持つ母親の日常が差別に打ちのめされんばかりの日々であろうと、私は生き続けてきた。そしてこれからも。
助けは求めればいっぱいある。手を伸ばせばいつだってそこにある。
独りにならなくていい。仲間を作り出して、幸せな現実を作り出せる力と自由と責任が私にはある。
娘も13歳。あと5ヶ月で14歳になる。
ほんとうに早かった。早すぎて、自分の年が時々分からなくなる。
でも、鏡に写る自分の顔を見ると、恋い慕ってやまない母親の顔と似てきたように感じるときがある。
目の周りにしわが多くなって、なくなる直前はほんとうに柔和な表情の母だった。
どんな苦労も困難も、一人の人の中で熟成して発酵して穏やかさをつくるのかと思わせるような平和な笑顔の母だった。
その表情に良く似た自分が時々鏡の中に見えて驚く。
本はクリスマスに発売される。
その後二ヶ月で私も、母が亡くなった年齢までもうすぐ一回りである54歳となる。
たくさんの人々の協力と応援で、そして丈さん(パートナー)の忍耐強い愛で、家族間の絆もますます豊かに深くなっている。その片鱗がこの本の中の素敵な写真に表れていると思う。(もちろん、私の言う「家族」は、丈さんと娘の宇宙ちゃんだけでなく、今一緒に暮らしている友人もそうだし、私たちに関わっている多くの友人達、介助者たちみんなを含めてのことだ。)
どうぞ手にとって未来への暮らしの一つの提言として読んで欲しい。
尚、この本の売り上げは、私から買っていただければ、フィリピンのストリートチルドレンに送っている物資の送料とさせてもらっている。
ぜひ私から直接買っていただけたら嬉しい。
もちろん、最寄りの書店への注文もぜひお願いしたい。
福島県の国見町に行ってきた(森の復元活動)
- 2009-09-12 (土)
- 最近の活動
私は今年、日本熊森協会という会員になり、
5月からは、その会の顧問にもなった。
肩書きはなんでもいいが、この会のやっていることが、
私の目指していることと、とても近いので、
できることはなんでもしたいと思っている。
その一つとして先日、福島県の北端の町、国見町に行って来た。
国見町は、奥山に植えた針葉樹林を伐採し、
熊が住める広葉樹林を復元したいと
27ヘクタールの土地を熊森協会に任せてきた。
植林をして、豊かな森を復元したいというのだ。
その提案を受け、熊森協会がどのように出来るか、
東北の会員が集まり学び、検討するという会があったのだ。
熊森協会は、西日本では多くの場所に植林をしてきたが、
東北では始めてということで、
会長の森山さんが兵庫県から、
生態学者の主原さんが京都から駆けつけてくださった。
日本熊森協会は、
「クマの捕殺を止めよう!」ということから始めて、
森の荒廃を復元する活動へと発展し、
更に最近は、世界水戦争からも森を守ろうという壮大なポリシーと運動も育ててきている。
既に1266ヘクタール以上の森(土地)を、自然保護のためにトラストしているというから驚きだ。
熊はアンブレラ種といい、森の長でもあり、
要でもある重要な存在だ。
熊の皮剥ぎや食事のあり方等の習性は、
実は森のバランスを回復させ、豊かにし、
その森は水を日本の全土に供給してくれている。
そうした重要な働きをしている熊から
まず食料を奪ったのが、戦後の林野庁の造林政策だ。
もともとあった原生林を切り倒し、杉や檜を植えまくった結果、
どんぐり等の木の実のならない針葉樹林に熊は食を求められず、
里へ降りることとなった。
里に下りると、今度は”有害駆除”され、
すさまじく殺されてきた。
九州は全滅、四国もほぼ全滅、西日本全域が絶滅の危機にある。
そのことに心痛めた中学生たちがまず立ち上がった。
その中学校の理科の教師であった森山まりこさんが
彼らの熱意に押され会を起こし、地道に活動を続けてきて、
今では教職を退いて、熊森協会の仕事に専念している。
障がいを持つ胎児も子宮の中で安らかに眠っているわけにはいかなくなった
昨今の医学、科学の進歩がある。
子宮の中で出生前診断を受け、命の選別によって、
多くの命が障がいを持っているということで、抹殺されている。
それは、奥山に食料が無くて住むことが出来なくなり、
里に下りたために、害獣とされる熊たちの姿と
私の中で重なるのだ。
せめて、社会の厳しい状況に出会う前くらい、
子宮の中でまどろんでいたいだろう胎児たち。
そして、森に豊かな食料さえあれば、
ひっそりと奥山で暮らしていたいだろう熊たち。
種のありようは違うが、
障がいを持つ人間の胎児も、奥山の熊たちも、
「私の居場所、命を奪わないで」と、
声なき声を発し続けているに違いないと、
心がぎゅっと痛み続けている。
10月4日(日)には、日本熊森協会主催による、
シンポジウムが、早稲田大学国際会議場内の井深大記念ホールで
13時から行われる。
詳細は以下
http://homepage2.nifty.com/kumamori/symposium-index.html
ぜひ多くの方に参加してほしいと、心から願っている。
臓器移植について 2
- 2009-06-16 (火)
- 思うこと
先日は臓器を求める側の親に対しての気持ちを書いた。今日は医療関係者に対しての思いと考えを書く。
まず医療関係者と一口に言い切ってしまったが、一人一人医療を志した思いも背景も違うわけだし、臓器移植に対しても個々人の考え方はいろいろあるに違いない。ここで私が訴えたい人たちは、臓器移植について賛成あるいは若干の疑問を持ちながらも、賛成せざるを得ないと考えている人たちへ、なのだ。
賛成だと考えている人たちは、なぜ賛成なのかを問いたい。脳死段階で取り出せばまた生き返る臓器を、みすみす無駄にするよりは、その臓器で助かる命があるなら助けたほうがいいということなのだろうか。
こういう考え方は効率主義的で、いかにも賢そうに思える。
しかし何度も繰り返すが、本当の効率主義を考えるなら、脳死段階からの回復を考えたほうがずっと論理的だといえる。
その論理の正当性は、医療の場にいる人の方が多くの情報を持っているに違いない。だからここで詳しくは触れないが、なぜか脳死状態の人を徹底的に可哀想だと決めつけて、臓器を取り出そうとする動きは医療の場にいる人の方が更に激しい。なぜだろうか。
日本は所謂、先進国と呼ばれる国々の中でも、薬害の被害を繰り返し続けている国だ。
私の記憶だけでも、サリドマイドやキノホルム、HIVの血液製剤や、最近のリタリンやタミフル、SSRIなど、人間の命を薬害に奪われても奪われてもなぜこんなにも気付けないのだろうか。そこにあるのは医療を金儲けの道具にしようとするシステムのありようだし、それがおかしいと思いつつも、巻き込まれ続けている製薬会社の関係者や医療者達がいる。臓器移植はどう考えても、どう抗弁しても沢山のお金が動くことは間違いない。臓器移植を成功させたとしたら、お金だけでは無く、名誉も研究欲も満足するし、達成感も深くなるだろう。
しかし、だからこそそこで考え続けて欲しいのだ。人間の命は非常に繊細で、そして同時にダイナミックではあるが、一度失われれば二度と戻りはしないのだ。その命と共にあった人にとっては、臓器をあげたことでその人の一部が生きているから満足すべしと言われても、医療者ほどには満足は出来ないだろう。勿論医療者自身も、自分の家族や、自分が脳死状態になったら即臓器をあげようとは簡単には思えないだろう。臓器移植をしたとしても、延命率は60%だと聞く。その延命も、1年なのか2年なのか、10年までいっているのか、確実な統計はまだどこにもないだろう。
臓器移植を考え行動する前に、脳死状態からの回復を医療者こそが真剣に考え、研究してほしい。人間の体はロボットの様にパーツを寄せ集めて、動いているのではなく、命の全体性があって生きている体となっている。そのことを誰よりも知っているのは、人間の体に向き合い続けている医療者自身に他ならないのだから。
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