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多様性の宇宙へ

福島市での女子マラソンの開催をやめてください。

11月13日頃に私のふるさと福島市で、女子マラソンの大会があるとき聞いた。

子供たちの命に対するあまりの攻撃に呆然として三日、四日暮らし、思い直してこれを書く事にした。

私は生まれて40日目から約二年間注射で、男性ホルモンを投与され続けた。

その間の記憶は無いがその後の私の記憶では多分、私の命に対する攻撃のあまりの残酷さ故に、さまざまな小動物、

つまり昆虫や金魚やオタマジャクシなどを殺しまくった。

オタマジャクシを缶詰に押し込んでグチャグチャとかき回したり、金魚の大きなおなかに指を突っ込んで

内蔵を取り出したり、兄と妹には何という子だと気味悪がられていたに違いない。

しかし小さな私はこれらの行為を通して、『ライフスレトニング(命に対する脅迫)』が日常的にあるんだという事を訴えていたのだ。

つまり何をいいたいかと言うと女子マラソンを開催する人たちの精神状態についてだ。

自分より力がない十代の若者たち(それも女性ばかり!!)の命に対してここまで鈍感に

そして傲慢に窮地に追い込めるには、どんなそれぞれのライフスレトニングがあったのだろうか。

戦争に行った人たちは、自分のした事に対する謝罪したり反省したりする間もなく高度経済成長を突っ走ってきた。

その途上に誤った原発政策もあり過ちの上の結果として原発事故があった。

その間違いを正すにはこれから多大な時間もエネルギーもかかる事は必定だ。

しかし女子マラソンの開催ぐらいはこれ以上の惨禍を招かないために止める事が出来るはずだ。

私たちは、ナチ収容所の監視人の如き役割を完全に下りて、若者たちと手を取り合って美しい地球を守り、

つぎの時代を彼らに手渡して行かなければならないのだから。

「内部被曝の脅威」を読んで

「内部被曝の脅威」という本を読んでいる。

2005年に書かれたもので、福島原発事故の話ではなく、広島と長崎の原爆の話と劣化ウラン弾における内部被曝のことが中心だ。

にもかかわらず、福島の事故が起きるを想定したかのように書かれていて、内部被曝についての認識が非常に深まった。それと同時に、明らかになったことが一つある。

以前から、唯一の被爆国である日本がなぜ、原発を54機もつくってしまったのか非常に疑問だったのだが、広島長崎に原爆が落とされた直後から、ABCCという原爆障害調査委員会がアメリカから広島に送り込まれて、治療はいっさいしないけれども原爆症で苦しんでいる人から様々なサンプリングを行い、ひどい人は、死亡時に親指しか家族に返されない、というようなことが行われていたという。

同時に、被ばく体験のことを語ることや、医者や研究者がそのことについて研究したり資料を集めたりすることは、全く禁止されたという。

この本を書いた肥田さんも、実際に追いかけらたり、あるいは患者さんの多くが語ることを許されないで死に絶えたことを見ているのだから、その圧力はどんなにか酷かったであろう。

その上、被爆者に対する差別や偏見がひどくて地元にいられなくなり、大阪や関東に逃げた人も多かったという。

そんな状況の中で、3月11日に爆発した福島第一原発がアメリカの凄まじい売り込みの中でつくられた。

つくったGEの人たちが、すぐに欠陥商品だと気づき、何度か修繕を訴えたそうだが、それも聞かれることなく3月11日の地震と津波の中で、一号機は暴発し、二号機三号機四号機も次々にメルトダウンしていった。

この本の著者の一人の肥田さんは、内部被曝に関する資料や研究があまりに無いために、その恐ろしさがほとんど伝わっていないが、現実に広島長崎の原爆や劣化ウラン弾の数年後、数十年後で、様々な病気が発症しているのだから、内部被曝は恐ろしいのだと書き綴っている。

私もこの本を読むまでは、こんなに恐ろしいものだとはしっかりとは認識していなかった気がする。しかし、今は認識よりも先に現実の方が凄まじくて、その現実が数年後、数十年後に更にまたどんな現実を見せるのかと思うと、最後まで本を読み通せるのかどうか、自信がなくなる。

しかし、一つだけ言いたいことがある。被ばく三世の障害を持つ子のお母さんと最近話して非常に意気投合したことだが、どんな形で生まれようと、生きているというその一点で、命はすばらしいということだ。被ばくをすると障害を持つ子が生まれやすいから被ばくを研究し、そして出生前診断を発達させ、障害を持つ子を産まない社会を作ることは、本末転倒だ。それこそが世に常識としてはびこる「優秀な人間だけが生き残るべき」という優生思想に寄与し続ける発想なのだ。

命は生きているというその一点だけで素晴らしい。どんな命も周りの命とつながりあって生きていくことができる。そのことを何度でも繰り返し言いたい。遺伝子に傷がついて障害を持つ子が生まれるから放射能汚染に反対するのではなく、命そのものが脅かされるから原発をはじめとする環境破壊に徹底的に破壊を止めていきたいのだ。環境破壊を止め、調和とバランスを探っていく鍵を私たち障害を持つ子、そして障害を持つ人たちが握っているといっても過言ではないということを強調したい。

くにたち市議員への原発に関する手紙

先ほど、私が住む国立市の市議会の皆さんに、お願いのメールを書きました。
このメールは、誰にでも回して良いので、福島県の中の統一地方選挙を延期するために使えるところは使って下さい。

私たち人類の危機であるところの原発事故を自覚している全ての皆さんに、役立ててもらえれば嬉しいです。

このブログにある原発事故に関する全ての情報は、役立ててメーリングリスト等に流して下さってかまいません。

 安積遊歩

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ご無沙汰しています。安積遊歩です。

私の郷里は福島市で、原発事故発生の場所から約80キロも離れていながら、今でも通常の270~300倍の放射能に汚染されている地域です。
そこに、たくさんの家族や親戚、友達が住んでいます。
そのような状況の中で、福島市議会の全会派が一致して、統一地方選挙を遅らせて欲しいと言ったにもかかわらず、国は原発事故の状況に注目を向けないようにと言うことなのでしょう、統一地方選挙をやると言っています。

福島市で共産党で働いている友人は、あまりの国の非道さに、なんとかそれを止められないかと、走り回っています。
県議会選挙は遅れることが決まったというのに、なぜ高レベル放射能に汚染された福島市で、国はやるといいはっているのでしょうか。
それどころか、原発事故の災害対策に懸命に走り回っている行政の人たちにとにかく選挙はやるのだと、説得しようとしているというから驚きです。

今、原発事故の状況はほとんど報道されていませんが、昨日も送電線が回復して順調なはずの二号炉と
世界中が危険と言うことで撤退したMOX燃料を使っている三号炉から白煙が上がりました。
メルトダウンはすでに確実に起こり、収集のつかない混乱の中で、8000メートル級の爆発もいつ起こっても
おかしくない状況が続いています。あまりにも本当のことを言わない政府やマスコミに私たちはすぐにだまされそうになりますが、原発のことをよく知っている方ならその可能性は全く否定しないでしょう。原発は少しも安全ではないし、今実際事故が起き続けている状況の中で、考えるべきは、それにどう立ち向かうかです。日本中の人が一致して、この危機を乗り越えなければならないのです。統一地方選挙は延期して、まず私たち日本に住んでいる人々の命を原発事故から守ることを早急に考えなければなりません。それ以外に、今やるべきことはないと、私は断言します。

チェルノブイリが起きたとき、私たちは1万人規模の大反対集会をすぐに開きました。しかし、今回は震災と津波のあまりに悲惨な状況のために、そこに回るエネルギーもないようで、このように重大な原発事故が起こっているのにもかかわらず、人々は沈黙し続けています。海外の友人からは、毎日のように焦りの声が寄せられています。なぜならこの事故が海を汚染し、空を汚染し、他の国の大地をも汚染することは、私たち日本人よりも海外の人のほうが、チェルノブイリの教訓からよくわかっているのです。

私は原発が出来た当初から出来る限り反対運動をしてきました。
11カ国の大統領や首相に手紙を書いて外圧をかけてくれと書いたこともあります。
返事をもらったのは、カナダ・ニュージーランド・オーストラリアの3か国だけでしたが、大統領や首相から
日本の一個人に返事を書いてくれるその誠実さに驚いたものでした。
しかし、そうした国々の誠実さと比べて日本は驚くべきことにこの緊急な状況の中でさえ、統一地方選挙に注意をそらして、命に向き合おうとしないのです。
もう原発のこれ以上の爆発におびえながら暮らすのはうんざりを通り超して、精神的にもたえられない思いです。

すでにチェルノブイリの原発を押さえ込んでいるプツマイスターコンクリートの使用も考えなければならない状況で、作業員もホームレスの人たちの中から、どんどん集められているという話も聞いています。
このコンクリートは幅5〜10メートルで、そんな厚さであっても、また15〜20年たったら、すさまじい核分裂のために劣化し、塗り直しを考えなければならないそうです。
統一地方選挙は日延べして、今はただ原発事故をとめることに全ての人の、そして特に政治に関わる人のエネルギーを集中することを求めます。
なんども繰り返しますが、これは人類の一大事であって、日本一国、都議会、市議会のレベルに今はエネルギーを割いている場合ではないという、強烈な自覚をお願いいたします。

日本政府は第二次世界大戦当時のような大本営発表を繰り返し、マスコミはそれをほぼ鵜呑みにして
記事を書き立て、こんな大事故を起こしながら、原発政策の大転換はまだまだ話し合いの俎上にも上がっていない悲惨さです。

共産党の皆さんも、関口さんも、私は非常に人の命を大事に思う方たちと信じております。
とても私は今、こうした状況の緊迫感からよくものを考えられる状態ではないことを自覚しています。
その自覚の中から、ただ一つのお願いはこの原発事故が止まるまで、無駄な争いは避けて、全市民、全国民、全地球民一丸となって、注目を福島に向けてほしいということです。たとえ、事故は止まっても、その後の莫大な被害、放射能汚染にも私たちは立ち向かわなければならないのです。エネルギーはそのために使いましょう。
原発の事故が収束するまで、無駄な争いはいっさいやめてください。統一地方選挙は日延べして、東北の人々の命、私たちの食べ物、きれいな水を回復するのに力を尽くして下さい。それが私たち大人の次世代に対する責任であり、私たちの知性に基づいた行動です。

被曝に対する、天然塩と味噌の力。

私は昔から、玄米を食べ、味噌とか塩とかが原爆症にとってすごく効果があるということを知っていた。
長崎の秋月医師の文章が知り合いから回ってきたので、
ぜひみんなに、そして特に福島原発の近くに住む人に読んで欲しいし、回して欲しい。

幼少期にレントゲンを浴び続けた私が、玄米や味噌や天然塩のおかげで体質改善をし、
娘を産んだ。

絶対、食べ物の力は大きい。

何よりも私がモデルだ。

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「原爆で被爆しても、被害の出なかった人たち」
8月9日に長崎に原爆が落とされ、その爆心地から1.8kmしかはなれていない場所で被災したにも関わらず、原爆症が出なかった人たちがいる事実について、何が被爆した彼らを原爆症から守ったのか、ということについて説明になると思いますので以下引用いたします。

1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1,8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。博士は焼け爛れて痛がる人々に、「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。
おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水で薄めることなくガードしようとしたのだろう。(注)(確かに戦地で傷の深い重症の兵士に水を飲ませるとすぐに死んでしまうという記録がある。)
さらに博士は、次のように職員に命令したという。

「爆弾を受けた人には塩がいい。塩辛い味噌汁を作って毎日たべさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖はぜったいにいかんぞ。」(秋月辰一郎著「死の同心円ー長崎被爆医師の記録」講談社・絶版)

「放射線宿酔」と呼ばれる、レントゲンを受けた後に起こることがある全身の倦怠や頭痛などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推測したのだ。味噌汁の具はかぼちゃであった。後にわかめの味噌汁も多くとったらしい。

砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞の活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。

するとどうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状がでなかったのである。
普通なら、次第に進行してしまうところなのに、彼らはそれから後ずっと現実に生き延びているのである。
このことは私には大きなショックであった。

食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの重い価値を知り、驚嘆した。
ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。

博士は人間の体質にとって、味噌が実に大切であることを説き、のちにこう語っている。「この一部の防衛が人間の生死の境においてきわめて重要なのである。」(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエート出版)

博士の書いた「長崎原爆体験記」(日本図書刊行センター「日本の原爆記録」第9巻)という本の英訳版が欧米で出まわり、チェルノブイリ原発事故の後、ヨーロッパで日本の味噌が売れたということはあまり知られていない。(中略)秋月博士は、「体質医学」の大切さを主張し次のようにいっていう。

「それは、人間の体質を作りかえることが医学の本然の姿であるという信念による。人間の体質を作り変えて、病気にかからなくてすむ身体、また病気にかかっても軽くて治る身体になることである。」

玄米・塩(食塩ではなく、天日塩)、味噌、梅干、海藻、糠漬けなどの漬物、日本の伝統食が自分の身をまもることになります。

破滅を前にして出来ることの全てを!!!

今、私は名古屋にいる。

名古屋の友人の家で、福島県内の原発から80キロ圏内の市町村に、おもいついて電話をしている。

福島は私が生まれ育った故郷だし、
余りの抑圧の中で生き延びた東北の人たちへの熱い熱い思いがあって、
次から次に電話をかけ続けている。

子どもの命、幼い赤ん坊の命、そして福島の未来を救いたい。

その思いで、なかなかつながらない電話をし続けている。

アメリカも、オーストラリアも、フランスも、その他多くの国々が、
福島第一原発から80キロ圏内に住む自国の人に対して避難勧告を出している。
そして、大方の人は80キロ圏内から避難しているだろう。
また多くの人は出国すらしている。
しかし、福島県の人たちは、30キロ圏内が屋内待機、それ以外の人には避難勧告の避の字も出ていない。

今、電話をかけていても、4人くらいはよく聞いてくれて、「上にご意見をお伝えする」とは言ってくれたが、
あるところでは、「我が市は日本国と県の命令に従って動きます」と言って、譲らなかった。

私は、小児白血病やその他様々な病気が子どもを襲うのを、だまって見ていられない。
だから、せめて避難命令までは行かなくても、自主的に判断して逃げてもらいたいくらいのことを、
市民や村民に向けて言って欲しいと頼み続けている。

首相官邸にも電話したが、途中で電話を切られた。

本宮市や小野町、郡山市、いわき市などは、一応話は聞いてくれたが、
他の多くの市は、何度かけても話し中だ。

戦争の地上戦とは違って、原発の事故の被害は、後からじわじわ来る。
福島の豊かな自然に育まれた野菜や果物や米は、
これから長期間にわたって放射能の残留で、美味しい食べ物ではなく、恐怖の食べ物にさせられるだろう。

IAEA基準によれば、福島原発の現在の危機は、チェルノブイリ一つ下のレベル6と同じになったようだ。
チェルノブイリ級にもなりかねない可能性すらある。

今まで使いまくっていたコウ・カウンセリングを、更に使って、泣きまくっているから、
どうにか自分を保っていられるが、
今まで生きてきた中で、最悪の最悪な悪夢の日々であることは、間違いがない。

17・8人を連れて、東京から名古屋に来たのが5日前。
毎日、状況が良くなるように祈り続けるパートナーの脇で、怒り続け、
ニュージーランドに一旦避難しようという激しい思いのみでつっぱしってきた。

しかし、昨日、彼の涙ながらの訴えと東北の人に対する愛に説得されて、怒りは大分静まった。
そして怒りが静まると、悲しみと絶望感が首をもたげてくるようで、
少しでもそちらに注目すると、動けなくなるので、泣き続けようと努力している。

味噌と塩と玄米をなるべく食べるようにして、
放射線の値はそれ程変わっていない、ということを希望に、
やれることをやり続けている。

一緒に来た2歳の双子を連れた友人たち家族も、更に西方の山口に発った。
明日は、双子の一緒にいる友人たちの一人が、パートナーと一緒に東京に帰ると言っている。
説得を試みてはいるが、たぶん無理だ。

私の危機感は、レントゲン室に何度も置かれた幼い私が伝え続けてくれているものだ。
子どもたち、幼い子どもたちの被曝を避けて、豊かな自然を残したい。

原発を止めて、持続可能な自然エネルギーを使っていく社会まで、
なんとか力を振り絞りたい。

余裕のある人は、ぜひ協力して一緒に電話かけやメールを市町村宛に送って欲しい。

大惨事の中で

ずっと長年心配していたことが現実になってしまった。

私をはぐくんでくれた,大切な人や,自然のある福島が、放射能の海になろうとしている。
地震だけなら号泣の中から立ち上がることも可能だ。
しかし、この放射能の海の前には、呆然と打ちのめされるかのようだ。

20代後半から,そうなって欲しくなくて,11カ国の大統領と首相に手紙を書いたこともあった。
自分で考えられる出来るだけのことをしてきたつもりだ。

しかし、日本政府と、利権と利潤を巡る強欲なシステムが、
私の努力をあざ笑うかのように,この大惨事を起こしてしまった。

もちろんあざ笑われたからといって、立ち止まっている私ではない。
生きて生きていこうと娘を抱きしめ、菅総理に伝えたいことをメールで送信した。

みんなも一人一人、出来るなら思いの丈を伝えて欲しい。

**************************
菅総理へ

今、会見を見ました。
原発がどうなっているのか、はっきり言って下さい。

今までの原子力政策に対して,国の代表として,心から謝って下さい。

あなたはHIV訴訟の時に,患者さんたちに心から謝った素晴らしい厚労省の大臣でした。
あのときの賢明さを持って,今、日本国民と,特に福島県人に対して,心から間違いを認め、この多大な犠牲に対して,二度とこうしたことを引き起こさないように原子力政策を止め、自然エネルギー政策に転換すること。
電気事業法や,様々な利権を巡る体制を、命を守る政策に転換することを,謝ってから約束して下さい。

私の家族や友人は,福島に住んでいます。
テレビを凝視して、彼らの無事を祈るだけという無力を,屈辱を分かりますか?

ここから何度も何度も謝って,原子力政策がどんなに間違いであったか、国民に話して下さい。

そこからしか始まりません。

これ以上の多大な犠牲を払わないためにも。

 安積遊歩

若い人達の力こそ、社会を変える鍵

 今私は若い人達と共同生活をしている。14歳の娘と20代の男女3名のルームメイトと、私のつれあい30代後半と私が今月50代半ばになる。なぜ私は、若い人たちとずっと共同生活を続けているのか。理由は、ひとつ。若い人たちが、次の社会の担い手だからだ。その人たちと、分かち合えるものは全て分かち合いたいし、その人たちのもっている深い洞察や、純粋なエネルギーを私を含む周りの人に分かち合って欲しいのだ。

 若い人たちの力を私は本当に信じている。私自身も、20歳の時から、激しく障害者運動に関わってきたし、30代半ばでは、とつとつの英語ながら、エジプトのカイロに行き、2000人の前で優生保護法の差別性を訴えて、優生思想に満ちた条文を削除する力のひとつともなった。

 最近私のルームメイト達も、様々に社会に目を向け始めていると、関心感動していたら、インターネット上に二つの興味深い活動が載っていた。

ひとつは、日本人の5人の上関原発反対のハンガーストライキ行動。
http://yaredeki2009.jugem.jp/?eid=866&guid=ON

そしてもう一つは、エジプトの青年からの匿名ではあるが、素晴らしく力強いメッセージである。
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=906

 この人たちの行動は、社会や世界が正しくあって欲しいという思いに貫かれていて、ぜひみなさんにも分かち合ってほしいものだと思っている。若い人たちのエネルギー無しに、社会の変革はありえないのだ。

死刑について

昔から死刑制度に反対だった。中学1年か2年の時に高校3年生のいとこと大激論をした。彼女は弟がその当時、いわゆる非行少年だったので、もし彼が罪を犯したら死刑になってもしょうがないというようなことを言って、私を驚愕させた。どんな人でも死刑になっていい人がいるとは当時の私にも直感的に全く思えなかったので、彼女の冷たい口調に驚いたのだった。激論の中で私は母が、もし私が死刑判決を受けるような罪を犯しても絶対私を助けたいと願い、被害者の人に土下座し裁判官にも頼みまくりついには私を連れて逃げまわるだろうと彼女に言ってのけ、彼女に馬鹿にされてその議論は終わった。

しかし今考えれば私の直感も正しかった。犯罪が起こるベースには幼児期から10代20代にかけてのすさまじい孤独があって、その孤独は全く個人の責任ではない。社会がその人に手を差し伸べられなかった結果としてあるものだから、個人の罪を問うことは大事でも、死刑を容認することは社会全体の大犯罪である。

先日19歳の少年が裁判員制度で死刑判決を受けた。朝刊でその記事を読んで、私はそのあと何度か泣いた。私たち障害を持った人はある意味、身体的な自由の利かなさゆえに、適切なサポートと愛情のない社会に生きたら、どんなひどい目に合うかをよく知っている。反対に言えば適切なサポートと愛情あふれる社会さえあれば、身体的な自由は完全に補われて行くといっても過言ではないことも知っている。それを実現しようと何十年も、そして今も障害を持つ人の運動の中で頑張っている。しかしこの社会は立場的に弱いところに置かれた人に対して、年ごとに厳しくなっている気もする。その一つがこの若い未成年者に裁判員制度で行った死刑判決だ。

裁判員という人たちはつまり市民である。市民がよく知りもしない状況に対して、その人の命を強奪する死刑判決を行う背景を考えると本当に辛い。その死刑判決を出した裁判員の一人ひとりを責めたくないが、のちのちどれほど後悔することになるか。もし後悔しないのであれば、どれほどの感覚麻痺が市民レベルに起こっているかということだ。

感覚を麻痺させて生き延びなければ生きられないのだよ、ということをこの圧倒的な資本主義社会、消費市場主義社会、もの依存社会である日本は確かに言い続けている。しかしだからこそ本当に生き延びる道は、感覚を麻痺させることではなくて自分の精神的・身体的痛みに気づきそれを言語化し周りの人に伝え、お互いに助け合っていくことなのだ。もし自分の心の痛み、身体の痛みにきちんと向き合うことができれば、死刑制度の存続はありえないだろう。

昨日死刑制度の反対集会に行ってきた。19歳の少年が受けた死刑判決にどれほどの若い人が自分の問題だと共感して、想像力をたくましくして集まってくるかと思ったが、残念ながら宣伝の問題や運動のかたくななイメージやパターンがあちこちに顔を出していて集まったのはやはり年配の人がほとんどだった。

若い人に死刑制度も、障害を持つ人を隔離する制度も、他人事ではなく自分の問題でもあるのだよと私たちはどこまで伝えていけるのだろうか。自分の焦燥感や無力感からではなく、若い人たちにこの社会は変えられるという希望を心から心から伝えていきたい。

脱原発と自然エネルギーを使った暮らしをしている友人のこと

最近私は、日本熊森協会の活動もそれなりにベストを尽くしているが、脱原発の運動もいつも気になっている。しかし具体的には、福島のその運動に一生懸命頑張っている友人を訪ね話を聞いたりリラックスをしたりすることが、今できる関わりだと考え、ときどき行っている。
先日も一泊二日というあわただしさではあったが、ぜひ行きたいという友人とともに福島県三春の里山喫茶「きらら」をしている武藤類子さんを訪ねた。

彼女と私は30年来の友人で、私は知らなかったが彼女は私と小学校が一緒だったのでいつも私が母におぶわれて登下校するのを見ていたという。その後彼女は養護学校の教師になり、私は私で養護学校の分離教育反対運動の活動家として、彼女に出会った。彼女のお姉さんが白血病になったことから、あるいはなる前後からか彼女は原発の問題に関心を持つようになり、たぶん私をその講演会に誘ってくれた最初の一人ではなかったかと思う。彼女のお姉さんに対しての献身的な介護と介助のありようは今でも私の中に鮮やかにある。私の妹も私を思ってくれるその愛の深さには脱帽だが、彼女のお姉さんへのそれも本当に深かった。

その中で原発のこと、エネルギーのこと、食べ物のこと、生活の中にある様々な化学物質のこと、それらとどう付き合っていくかの生き方のことを考えて彼女が今の暮らしを始めたのは自然ななりゆきであったと言えるかもしれない。

里山喫茶「きらら」は、電気エネルギーの3分の1が太陽光発電、熱エネルギーは薪ストーブと太陽熱温水器を取り入れている。ソーラークッカーやソーラー懐中電灯など珍しいものもたくさんあって、これから人類がどう生きていったらよいかのモデルを提示してくれている。そしてもうひとつ「きらら」のユニークな点は彼女が50代、パートナーが30代でなんと私と私のパートナー以上に年の差があって、その点が私にとってもまた更に希望に思えている点だ。

例年だとどんぐりカレー(予約が必要だが)がランチとしてメニューにあるのだが今年は山の実りが極端に少ないので、それは山の動物たちに少しでも残しておきたいということで採取もメニューも中止になっていた。営業時間も週4日で金土日月の10時から19時までで、営利中心では全くなくゆっくりとした暮らしをしている。店のあちこちに彼女が伝えたいことが、美しくディスプレイしてあって、大手会社の電力を使わず、自分たちで自然エネルギーを供給してゆっくりと暮らす生き方が、いろいろあるのだなということがよくわかる。

今回訪ねての驚きははちみつが自家製であったことだ。最近ミツバチがいなくなったとかいろいろ聞こえてきているが、なんと彼女のところでは、2リットルのはちみつを彼女のパートナーがしぼって食べていた。他にも別の箱に7リットルぐらい蜜が入っているそうだが蜜を取るとミツバチが即全滅してしまうので、それがかわいそうだということでいま悩んでるということだった。

来年から廃炉プロジェクトが立ち上がり、様々な計画があるという。私も若い人がこういう暮らしに触れられるようツアーを組みたいと思っている。彼女の店の周りには自分たちで作った小屋があって、一泊素泊まり2000円で提供している。すでに行きたいという人は何人か連れて行ったり私なしでも若い人を紹介したりしているが、今後はぜひ持続可能な暮らしに向けて、老いも若きも関係なくどんどん紹介したいと思っているので、関心のある方は私に問い合わせてください。

「コンゴのどん底から世界№1バンドへ~ベンダビリリの映画最高です~」

9月21日夜、ベンダビリリというコンゴのストリートミュージシャンが来日しての初パフォーマンスに行って来た。8人中5人がポリオ(小児麻痺)で車椅子を使っていた。松葉杖を使っている人もいた。彼らはコンゴのキンシャサの動物園に住んでいて、ストリートチルドレンたちに音楽を伝え、共に生きている。

彼らのドキュメンタリー映画が、渋谷のイメージフォーラムというところで上映されているが、まだ私も観てはいない。今月中には観ようと思っているが、何を言いたいのかというと、とにかくかっこいいので、皆にぜひ観にいってほしいということを言いたいのだ。

彼らが招かれたのは、ユニセフのポリオ撲滅キャンペーンの一環らしいが、僕はポリオになったからこそ、こんな素敵な人生を生きているんだと言わんばかりのダイナミックで情熱的で、その中に若干の憂いのある音楽で、昨夜は本当に心打ち震えた。

ポリオについて、ユニセフが少しでもワクチンを広げたいというのはよく分かる。しかしそのキャンペーンの仕方は、あまりにも優生思想まるだしで、心痛んだ。

彼らの登壇の前に、ポリオになると、命まではなかなか取られないが、足がこんなに麻痺してしまうということでポリオの子どもたちの写真を4,5枚プロジェクターで見せられた。

こういう場面で私はいつも、その人権感覚の無さに愕然としてしまう。数人の子が、一人ずつ下着姿にされてプロジェクターに映っているのだが、彼らに許可はとっているのだろうか、とっているはずはないのだ。映像を解説していた医師が、足が麻痺しているところをよく見てほしいと、悲惨であるという思いをこめて何度も言った。

私は、私自身が写真を撮られたことがあるし、どこかの学会で自分の写真をそんな風に使われているのではないかという恐怖もあるので、一瞬にして心が凍り付いてしまった。

子ども達の身体を否定して、それをさらしものにして、ポリオがどんなに怖いかをキャンペーンするのはとにかくやめて欲しい。どんなに麻痺した足であっても、素晴らしい人生を一生懸命生きているのだ。それを忘れないで欲しいし、まして本人の許可なくさらすのは止めてほしい。

と思っていたところに、ベンダビリリが登壇してくれたので、彼らに一瞬にして、私の思いが伝わったなと思うほどに、本当に救われた。彼らは、今生きている自分の人生こそ最高という感じで、自分の足もまるごといいぞと思っていることが明らかだった。

彼らのコンサートや映画の収益金の10パーセントは、ストリートに今生きている人たちに分かち合われていくという。どんなに絶望的な状況の中でも、音楽によって結びついている彼らとそれを取り巻いているストリートに生きている子どもたち。その日常を描いたドキュメンタリーも楽しみだし、もう一度コンサートにも出かけてみようと思っている。

実は、ちょっと話は変わるが・・・
私の大好きなチェ・ゲバラはキューバ革命の後、コンゴに出かけ、その地で活動家たちとつながりを作ることの困難に絶望し、もう一度南米をということで、ボリビアに帰っている。だから、私にとってコンゴは、ゲバラも諦めた場所なのかということで、更に心痛んできた。

デイズジャパンの情報によれば、東コンゴの難民問題は、今世界の中でもトップレベルの凄惨さだと言う。その原因は、携帯電話に使われている、レアメタルを巡る大国の消費市場原理主義にあるわけだし、それを支える携帯電話ユーザー世界一の国に住んでいる私としては、コンゴのことを思うと、本当に複雑な気持ちだった。

しかし、そこにベンダビリリが登場してくれたので、やはり本当の社会変革は、障害を持つ人から始まり、その実践は、助け合うつながり(ベンダビリリはストリートチルドレンの親をしているし、ストリートチルドレンは彼らの介助をしながら、共に生きている)を作ること以外に無いのだなと、確認できたわけで、どうぞ皆さんにもそれを分かち合いたいので、映画を観てほしい!

アフリカ最高!コンゴ最高!!

私が取り組んでいるFGMの廃絶にも彼らが力を貸してくれたらと願い、行動を考えている。

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